小矢部市議会 2020-03-10 03月10日-03号
本市には稲葉山・宮島峡県定公園や倶利伽羅県定公園などの豊かな自然、桜町遺跡を代表とする縄文時代や平安時代末期に活躍した武将、木曾義仲と巴御前に関する史跡、加賀藩前田家ゆかりの城下町・寺町として栄えてきた歴史的背景と資源、メルヘン建築やクロスランドおやべ、アートハウスおやべといった夢を育む場所、石動曳山祭・おやべの獅子舞祭・津沢夜高あんどん祭を代表とする伝統行事やイベントなど、他地域とは異なる趣を持った
本市には稲葉山・宮島峡県定公園や倶利伽羅県定公園などの豊かな自然、桜町遺跡を代表とする縄文時代や平安時代末期に活躍した武将、木曾義仲と巴御前に関する史跡、加賀藩前田家ゆかりの城下町・寺町として栄えてきた歴史的背景と資源、メルヘン建築やクロスランドおやべ、アートハウスおやべといった夢を育む場所、石動曳山祭・おやべの獅子舞祭・津沢夜高あんどん祭を代表とする伝統行事やイベントなど、他地域とは異なる趣を持った
人類創生、アウストラロピテクス、北京原人、縄文時代、弥生時代、何とすてきな平安京、鳴くよウグイス平城京、どれだけそらで言ってもなかなか覚えられませんし、全く身近に感じられず、そして、なぜこれを学ぶかも理解できませんでした。
このほか、博物館で所蔵している「収蔵品展」や、滑川の縄文時代について、体験学習を交えて紹介する「滑川の縄文展」などを開催することとしております。また、博物館からの眺望をゆっくりと楽しんでいただくため、博物館カフェの実施に向け準備を進めております。
○生涯学習課長(地崎紀子君) 不水掛遺跡は、昭和53年に東福寺野自然公園の駐車場増設計画に伴い、発掘調査が実施され、縄文時代の住居跡や多数の土器、石器が出土しております。 調査の結果、県内でも貴重な縄文時代の遺跡であることが判明したため、日本宝くじ協会の全額補助により遺跡の保存整備を実施、昭和56年から展示館を持つ遺跡公園として市民に開放しているところでございます。
また、旅行者等に対しては、北代遺跡は縄文時代中期後葉(約4000年前)を中心に営まれた大集落跡であることを知らせたり、富山市民俗民芸村などの文化施設と組み合わせた周遊観光を宣伝したりしてはどうでしょうか。 平成30年版過労死等防止対策白書の中では、過重労働が顕著な重点業種として、教職員や医療などの5つを挙げています。
中でも桜町遺跡は、縄文時代の木製品を初めとする貴重な遺物の出土によりまして、全国的にその名が知られております。また、市内には、丘陵の尾根筋を利用した古墳、これを約60基確認しております。特に、今ご紹介のありました埴生地区におきましては、前方後円墳の形状を有する県指定史跡であります若宮古墳を初めといたします大型の古墳が約40基確認されているところでございます。
歴史を見ますと、縄文時代は5メートル海が高かったそうです。縄文海進です。しかも、たかだか平均気温が1度から2度高かったとされております。あと2度の上昇で一気に南極の氷が溶けてしまうかもしれません。 こちらをごらんください(資料を示す)。これが縄文時代のときの富山湾です。全然格好が違うと思います。 こっちを見ていてもしようがないので、こちらが滑川です(資料を示す)。
また、本市には縄文時代の遺跡であります桜町遺跡、平安時代末期の木曽義仲公・巴御前ゆかりの地であります倶利伽羅県定公園、そして護国埴生八幡宮、江戸時代の加賀藩前田家ゆかりの寺社、それから、昭和時代の旧大谷家住宅を活用して整備をさせていただきました大谷博物館など、幾つものそれぞれの時代を感じられる歴史的な観光資源が多数ございます。
◎教育長(日光久悦君) 桜町遺跡の出土品の最大の特徴であります縄文時代の特に重要な木製遺物につきましては、恒久的に展示できるように保存処理が施されております。しかしながら、保存処理をした木製遺物でありましても、安定的な温湿度管理をした環境が必要であるため、現在この環境を備えた埴生地区にあります小矢部ふるさと歴史館において常設展示をしているところであります。
これらの遺跡は、縄文時代や弥生時代、古代、中世、近世とさまざまな時代の遺跡であることが判明しています。 さらに、平成19年度からは入善黒部バイパス建設工事に伴い、仏田遺跡や江口遺跡の発掘調査が実施されました。これらの遺跡は主に平安時代の遺跡です。 このほか北陸新幹線建設の際にも上中島地区の早月上野遺跡が調査されています。
近世だけではない、いにしえの縄文時代からの歴史を堪能できる西山歴史街道は、多くの古代文化財を有しております。古代の高岡に触れることができる、これも大きな高岡の魅力であると言えます。癒やしを求める現代人にとっては、古代ロマンと美しい自然に触れることができる観光要素が非常に高いとも考えるのであります。
時代を追って、ちょっと私のほうから少し紹介したいと思いますが、石器時代には臼谷岡村遺跡、縄文時代には桜町遺跡、弥生時代には平桜川東遺跡、そしてまた五社遺跡に始まり、4世紀の関野古墳、6世紀の初頭には若宮古墳、さらに8世紀には大伴家持が朝廷から従五位下という位を得て倶利伽羅峠を越えて富山県に赴任をしております。
縄文時代の小竹貝塚や弥生時代の打出遺跡、古墳時代の百塚遺跡など、この地域の歴史を解明する上で貴重な遺跡が数多くあります。 学校教育におきましては、小・中学校での郷土学習等で、この地域から発掘された実際の出土品を見て、触れてもらうことのできる機会を設け、郷土愛や郷土の歴史への興味を高めることに役立つよう支援してまいりたいと考えております。
朝日貝塚は、大正7年に発見された日本海側の代表的な貝塚の一つで、縄文時代前期と中期を主体とし、保存舎では炉跡のある竪穴住居床面が見学できます。しかし、どうでしょうか。見てみると、青いコケが大切な竪穴住居床面にびっしり生えております。 そこで、次のことを教育長に提言します。 1つには、水はけをよくしたり換気をするなど、管理を十分に行ったらどうでしょうか。
それとあわせて縄文時代の木工技術を知る学習会もしたいなと考えております。 ○議長(中村重樹君) 9番 嶋田幸恵君。 〔9番 嶋田幸恵君登壇〕 ◆9番(嶋田幸恵君) ぜひとも高床式、またこの縄文に子供たちやら市民の方々が思いをはせていただくように、この記念事業をしっかりと使っていただきたいというふうに思います。 また、市役所の緑地ですか、改修されて紅梅を植えられると。
また、河岸段丘、いわゆる「はば」に見られる坪野遺跡は、縄文時代の中期、後期のものと言われています。NHK特集「ヒューマン なぜ人間になれたのか」では、最低150人の人が住んでいなければ集落は維持できないとしています。であるならば、扇状地のもっと広い地域に縄文人が分布していたのではないか。
昭和25年、39年、40年に発掘調査されており、縄文時代の遺跡と見られる多くの出土がありました。また、史跡探勝として「坪野長者と下山牛ガ首遺跡」と題して民話などもあります。 このほかにも町内には、扇状地を中心とした歴史を伝える場所が数多くあります。例えば、墓ノ木のタイマツ祭りと墓ノ木の姫松、じょうべのま遺跡、ばんじょうめの田など、町内一円に点在しております。
小矢部市での開催は12年ぶり2回目の開催となるものでございまして、今回、メーンテーマとして「縄文から学ぶ現代の交流~そして未来へ」というテーマを掲げさせていただきまして、縄文時代のつながりを大切にする心から、今後の地域間の交流のあり方を探るとともに、この縄文の心を、未来を担う子供たちに伝える方策について考えてまいります。
今回のサミットのメーンテーマは、「縄文から学ぶ現代の交流~そして未来へ」となりましたが、これには縄文時代の物の移動などから見た各地の人々の交流のあり方から、人と人とのつながりを大切にする心を大事にし、今後の交流のあり方を探るとともに、この縄文の心を未来を担う子供たちに伝える方策についても考えようとの意味を込めたものであります。